第4回 村岡ダブルフル・ウルトラランニング完走(歩?)記
2001年9月30日 日曜日・・・練習不足はわかってまんねん。「行けるとこまで行ってリタイアするわ!目標は20キロや!」と嫁さんにもそして、参加表明をした数少ないランニング仲間にも言って来た。だから、途中でやめてもかめへん・・・と自分にも言い聞かせて立ったスタートライン。こんなんでは知った人がいてもよう声かけへんわ・・と思いながら、気がつくとけっこう前の方に並んでいるやんか!今年は丹後のウルトラに参加者を持って行かれたのか去年より参加者が少ない。長楽太鼓で勢いをつけてもらって、高石ともやさんの「体はしんどくても心は楽しく」という言葉をいただいていよいよスタートの号砲。
結構前の方を走っていたのに、どんどんどんどん抜かされてあっという間に後方軍団。やっぱり練習不足やわ!ここで白状するけど、怪速太郎さんとの7/14の鴨川マラニックで5キロくらいご一緒させてもらった時からここまで、まったく走ってへん。3ケ月で50キロしか走ってない。ほんまのこと言うと、7/14以前もほとんど走ってへんのんや。膝の故障は走らへんええいい訳になりよった。そんなこと思いながら走っとたら、やっぱしきよった!膝の爆弾でんがな。どうも調子がおかしい・・・いよいよ時限爆弾にスイッチが入りよった。まだ、10キロほどしか走っとらんで・・こいつはだましだまし走るしかないと覚悟を決めてペースダウン。もとから遅いのにこれ以上ペース落としたらあかんがな。(いえいえ・・もともと完走なんかめざしとらんから・・ええんや)「あ、土田さん!」と後ろから声をかけられたで。誰やろう・・と振り向くと、去年バイク隊でサポートしてくれてはった岡さんやないか。岡さんはたしか村岡町の職員さんやったなあ。「岡さんは毎日練習で この道 走っとたんですか?」と聞くと「はいはい、車ではよう走ります」とボケかまされた。そのわりに地元の人の声援を受けてどんどん先に行ってしまいなすった。村岡は自然がきれいや。山がしっかりしとるから、水がきれいなんやなあ。雨のせいかもしれんけど水量も豊富や。
20キロでもう足が限界や。けど、まだ時間もたっぷりあるし、行けるとこまでいくで。村岡町に入る手前で「長村兄い」とすれ違った、速いなあ・・ゴールの村岡小学校の近くで「高石ともや」さんとすれ違った。しんどうてたまらんときやったけど、目がおうてハイタッチしてもろた。これで元気が出たがな。ゴール予定の村岡小学校はすでにゴールのアーチがかかっていて、応援のおばちゃんが「ゴールまで帰ってきてや!待ってるよお〜」と励ましてくれた。「うん、帰ってくるわ!」となぜか答えてしまった。そして、ほんまにゴールしたい!と思ってきたんやなあ。蘇武ケ岳(1074m)にはいってやっと歩けるわ。登りは走ったらあかん、特に練習してへん者が登りを走ったら一発や。そやけど、前をはしっとる70手前ほどのおじいちゃん元気やなあ。どんどん差がついていくわ。
去年はアホなことしゃべりながら登ったんやけどなあ。今年は参加者が少ないんと、自分があまりにも遅いのでまわりに誰もおらん。雨もきつくなってきたし、風も結構きついやん。足も限界や。前にも後ろにも誰もおれへんから、右膝に負担がかからん走り方を研究して斜めに走ったり、後ろ向きに走ったりサイドステップ踏んでみたりしたけどどれもあかん。よけい疲れたわ。
蘇武岳の頂上にやっとついたらトップランナーが今ゴールしたって!今長はんや。去年より30分短縮したって・・どんな風にはしっとんやろ?去年はここはおにぎりが売り切れとったんやけど、今年はまだたくさん残っとった。「去年はおにぎりなかったやけど、今年は食べれたわ!」というとエイドのおばちゃん「よう覚えとったねえ!今年はたくさん用意したんよ」と嬉しそうに言っとたわ。村岡はこのエイドのおばちゃんやおっちゃんとの会話も楽しみのひとつや。エアサロンパスには世話になったなあ。エアじゃなくてどっぷり塗りぐずりのように吹きつけて走ったわ。(ほんまはこの辺はずっと歩きじゃった) 下りがしんどかったなあ。膝が痛うて・・・59キロの射添会館のチェックポイントが遠かった。チェックポイント閉鎖の1時間前にようやく到着。ここには「そうめん」があってそれが楽しみやたんや。おばちゃんに「いっぱい食べてけ」といわれて「全部食うで!」と言ったけど全部は無理やった。胃腸のほうはまだまだ元気や。着替えをして、足にテーピングして再スタートや。この頃には「なんとか完走したい!」「ビリでもええけん、完走したる」と思っとった。また登りや。長楽寺の大きな大佛さんの前で写真を撮ってもらう。あと28キロやけど、消耗しきった体にはえらいわ。 なんとか柤大池のエイドまでたどり着いた。エイドのテントからちょっとかわいいおばちゃんが大きな声で「土田さ〜ん! おつかれさ〜ん」と手を振っているぞ!知り合いかいな?と思ったけどしらん人やった。もう、友達みたいに応援してくれるから嬉しいわ!パンやトマト《これがうまい!》 ヤクルトを頂いて次の関門までどれくらいや?と聞くと「ずっと下りを7キロ。制限時間まで約40分」とおっちゃんが教えてくれた。一緒にエイドにいた人が「飛ばさんとやばいな!」と言って飛び出した。続いてスタートしたけど・・おっちゃん、もう見えへんがな。どこにそんな体力残しとったんや?もうここまできたら、足がどうなろうとかまってられへん。体力温存しとっても関門に間に合わんでアウトになるくらいなら全部出しっきったれ!と思って足が痛いけどペースあげたで。遠いわ!なにが7キロやねん?・・と思っとったらテントが見えてきた。道に立っていたおばあちゃんが「あまいもん欲しいやろ!」というて飴をくれた。食べようと思ったら飴が溶けかけていて包み紙がはがれへん。食べるのをやめてポーチにしまう。(そう言えば、子供の頃 田舎のばあちゃんがくれた飴玉はいつもこんなんやった)テントに着いた。なんとか間に合った・・と思ったらただのエイドやった。聞くともうちょっと先だそうだ・・実はまだ3キロほど先だった。長い長い3キロ。着いたのは関門閉鎖3分前だった。(17時に閉鎖)この関門をクリアしたのはおいらの後は3人だった。あと14キロを2時間で走れば時間内完走!・・・楽勝やと思った。実は違った。まだ鬼のような登りが待っていた。あたりは暗くなり腕に蛍光色の発光するのを巻きつけてもらい、ペンライトを渡された。バイク隊が後ろについてくれる。「高橋尚子選手も世界新記録に向けて頑張っていますから、頑張ってください!」と声をかけてくれる。Qちゃんも頑張っている・・そう思うと力が出てきた。が、それも30メートルと持たない・・やっと一二峠(ホイ峠)を越えて後は下りだけと思っていたら最後の最後にまだ登りがあった。ここは折り返しになっていて、すれ違うランナーが「ここで歩いていたら時間にまにあわんで!ここは頑張って走って!」と教えてくれた。泣いても笑ろてもあと4キロほどや。応援のおっちゃんに「折り返しはまだ?」と聞くと「もうすぐそこや!」道はくねくね曲がっていて折り返し点が見えん。いくら曲がっても見えん。またおっちゃんに聞くと「もうちょっとや!」・・・「いったいどこやねん!」とこの時ばかりは頭にきたで!やっとおり返して、あと3キロ。時間はもうない。この下りは力がでたなあ・・・何人か抜いたもんなあ。ゴールが見えた時は嬉しかった。岩槻村岡町長さんが角に立って応援してくれてはった。ずっと後ろに付いていてくれたバイク隊の人はゴール前でUターンして行った。バイク隊の兄ちゃん、ありがとう。学校の門をくぐると、両側に人の列や。「お帰り!」「お疲れさん!」「頑張ったなあ!」「もうチョットやで!」と声をかけてくれる。ゴールのアーチの前では、ずーーとハイタッチをしてくれた。最高やなあ。ゴールまでがんばってよかった。ゴールは制限時間の5分前。今年の村岡は「出せる力を出し惜しんだらあかんで! 全部出しなはれ! 」という教訓を教えてくれて終わった。 帰りの駐車場までのバスで一緒になった方と写真を撮って、話していたらなんとその方は「弟の兄」さんだった。なおちゃんのホームページでおなじみの方。お会いするのははじめて。しかも、怪速太郎さんとは富士五湖で一緒だったとのこと。世間は広いようで狭いですなあ・・・こういう出会いもウルトラマラソンなればこそ。88キロ参加者 233名天気 雨 気温13度から14度